最先端研究探訪 (とくtalk132号 平成23年7月号より)

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総合科学部 外国語教育推進室
Wolfgang Herbert ヴォルフガング?ヘルベルト

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人生の経験生かしてホスピスに取り組む

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現場主義で社会を見る

ヘルベルト先生の研究を紹介する前に、まずその現場主義の体当たりの経歴を紹介した方がよいかもしれません。

先生と日本の接点は、10代の時、空手と出合ったことです。15才から道場に通い、23才から3年間連続でオーストリアの全国チャンピオンに。その実力を武器として使うことはありませんが、強い肉体と精神力は、その後の人生の力強い基盤となっています。

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ヘルベルト氏とカラテ

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タトゥー関連誌

ウィーン大学で日本の文化や哲学?宗教を学ぶ中で、ヨガや禅にも親しみ、日本やアジアへの興味を深めていきました。

1988年にあこがれていた日本に移住。しかし日本の印象は「騒音オペラの国」。「精神」の国の闇にある貧困や外国人への差別等々、様々な問題を抱えていたのです。

1990年には大阪?釜ヶ崎での労働者による暴動に遭遇。そんな中である男の言葉が胸に突き刺さりました。

「ほんまのことを知りたかったら現場へ行け」

先生は自らドヤ(簡易宿泊所)街で寝起きし、親方にこき使われ、怒鳴られながら働きました。夜は元暴力団や不法就労の外国人などの労働者と一緒に屋台で飲み明かす日々でした。しかし、
「大変な場所でしたが、どこよりも人情味あふれる人々。そこは別に特殊な場所ではなく、現代日本の縮図でした」

この体験を元にドイツで出版した本は話題を呼びました。

またそのような体験の中で暴力団関係者と知り合い、美しい日本の「入れ墨」と出合いました。

「入れ墨というと、日本ではあまりよいイメージはありませんが、芸術?美術として世界的にもレベルが高いすばらしい文化です」
ドイツのタトゥー専門雑誌に、先生は何度も日本の彫り物について寄稿しています。先生自身もある彫り師の作品を集めた写真集の出版を準備中です。

縁あってやってきた徳島は、「母国のオーストリアのように、自然が豊かでゆったりとしている。現在、家が神戸にあるので時々帰っています。神戸も良い街ですが、徳島ものんびりしていいですね」

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人類の課題に取り組む

さてこのような自ら「雑学者」と呼ぶ研究からは、「ひとまず足を洗いました。現在のテーマは高齢化社会や人の精神(こころ)です」 かつてウィーン大学で最初に専攻した哲学、宗教学の世界に戻ってきました。フィールドはホスピスです。

ホスピスとは中世ヨーロッパで、旅の巡礼者を宿泊させた修道院に由来します。旅人が病気にかかった場合など、そこでケアや看病をしたことから、看護施設をホスピスと呼ぶようになりました。病院の語源となるホスピタルもそこから来ています。

日本で最初のホスピスとなったのは、1973年、大阪の淀川キリスト教病院です。また独立した病棟としてのホスピスは、1981年に浜松市の聖隷三方原病院が、末期がん患者などのために緩和ケア病棟を開設。その後、全国各地に国公立病院にホスピス開設の動きが広がっていきました。

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ヘルベルト先生は日本の禅だけでなく、これまで何度も訪れたインドのヨガの精神。これらを通じて、スピリチュアル?ケアに取り組んでいます。

ホスピスとの出合いは大学時代の友人(チベットの仏教徒)の紹介です。ホスピスそのものの研究の歴史は長いものの、日本では近年ようやく良く耳にするようになりました。一般的には患者の悩みを聞いたり、相談にのることにより精神的な痛みを緩和することを言いますが、
「単に末期がんやエイズ患者が、精神的な支援を受け、痛みや悩みを緩和するというだけではなく、そこには『死』という深遠な問題があります。『死』と真っ正面から向き合うことにより『生』が見えてくるのです」
と、先生は一歩踏み込んだスピリチュアル?ケアを目指しています。これは最先端研究というより、人類の永遠の課題ともいえる大きなテーマです。 「長い回り道をしてきたように思われますが、でも全ては一本の道に続いているのです。これからが本当に私の目指すものです」

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ヴォルフガング?ヘルベルト氏のプロフィール

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  • 1960年 オーストリア生まれ
  • 1979-88年 ウィーン大学入学(日本学、比較宗教学専攻) 哲学修士号取得
  • 1988-90年 甲南大学、大阪経済大学、ドイツ文化センターでドイツ語教師
  • 1991年 ウィーン大学 東洋学部/日本学研究所 助手
  • 1992年 再来日
    1993年 ウィーン大学 哲学博士号取得
  • 1994年 徳島大学 総合科学部 外国人講師(社会学、ヨーロッパ文化史、ドイツ語)
  • 2001年 ベルリン自由大学 客員講師
  • 2006年 徳島大学 総合科学部 外国語教育推進室講師

[取材] 132号(平成20年7月号より)

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